FW
6月24日(金)

同級生の元横浜FCのDF、早川君に以前「対戦した中で嫌だったFWって誰?」と質問したところ、「前田遼一」と言っていた。そんな前田選手のお話です。

■「あんな選手、もう二度と出てこねえ」
 手元を巣立ってすでに11年が経過しているが、恩師である林義規にとって、前田は35年間の指導生活においても特別な教え子の1人だ。暁星高は高校サッカー界においては全国区の知名度を誇る名門だが、実は年間10名前後の東大生を輩出する都内屈指の進学校でもある。遠征先の宿舎でサッカー部員が机に向かう姿は、高校サッカー界においては言わずと知れた風物詩の1つ。しかしそれは、林が義務付けたスタイルではない。

「アイツらは先輩たちの姿を見ているからね。オレは『勉強道具持ってこい』と言ったことは一度もねえし、特別に勉強時間を設けているわけでもねえ。でも、アイツらは先輩たちの姿を見て、そういうもんだと思ってるんだ。時間がねえから、やるときは集中してやる。それが伝統。やっぱり、このスタイルは崩したくないね。ウチはサッカーと勉強が一緒。サッカーだけ、勉強だけなんてヤツはいないよ。同じ人間が全国大会への出場と一流大学の合格を目指すんだから、やるしかないんだ」

 生粋の江戸っ子である林が、いわゆる“べらんめえ調”の江戸言葉で言う。「そんな環境から生まれた日本代表選手ってのは、やっぱりまれなんじゃねえのかな。遼一はやっぱり、異質だよ。あんな選手、もう二度と出てこねえ」

■13クラブのオファーとライバルの存在
 初めて出会った中学1年生の前田は、体の線の細い、どこにでもいるサッカー少年の1人にすぎなかった。しかし、練習に対するストイックさは尋常ではなかった。性格は負けず嫌い。一度決めたら覆さない。チーム事情から守備的なポジションを任され、悔し涙をこぼしたこともある。そんな前田に恩師が「ひょっとしたら」という思いを抱き始めたのは、中学卒業を間近に控えたころのことだ。毎朝6時15分からたった1人で始めていた個人練習の成果が、急激な体の成長によって顕著に表れ始めた時期だった。

 冬の全国高校サッカー選手権に出場することができなかった3年間を、林は「弱いチームだったから、かわいそうだなと思ったこともあるよ」と振り返るが、前田にとって、それは決してネガティブな要素ではなかったと推察できる。全国制覇を狙う強豪校に進学して競争に敗れる者もいれば、無名の高校から這い上がってJリーグの舞台にたどり着く選手も少なくない。大切なのは、自ら選んだ環境に自身のスタイルを適応させ、その中で努力を怠らないこと。もちろん、チーム内にライバルがいれば、なおのこと望ましい。

「遼一には13クラブからオファーがあって、毎日のようにスカウトが足を運んでいた。ただ、チームには遼一と実力的な双へきを張るDFがいてね。実は、コイツもサッカーができるヤツで、遼一を見に来たスカウトは『あの選手もできますね』と気付くわけよ。でも、実はコイツと遼一の仲が悪くてさ。お互いにライバル視していたわけ。当時は遼一ばかりが注目されて、きっと悔しかったんだろうよ。コイツは医者の息子で、もちろん医学部に進学することを決めていた。でもある日、『先生、僕もプロになります』って言い出しやがった(笑)。遼一にとって、アイツの存在は大きかったんじゃないかな」

暁星高は何人ものJリーガーを輩出しているが、大学を経由せずにその舞台に飛び込んだのは前田しかいない。進学率はほぼ100%。そんな環境の中で進学の道を捨てる決断を下すことは容易ではなかったが、前田は自分で考え、サッカーの世界に人生を投じる覚悟を決めた。当時のことを、林は懐かしそうに振り返る。

「遼一はギリギリまで悩んで、最後には『プロになります』とはっきり言った。立派でしたよ。もちろん、最初からそのつもりでこの学校に来たなら分かるよ。でも、ウチはそういう学校じゃない。今でもよく覚えているけど、それから13チームからどこを選ぶかということになって、当時東京ヴェルディの強化部長をやっていた教え子の加藤善之(現松本山雅監督)にこんなことを言われたんだ。『先生がいくら酒に強くたって、13チームと酒飲んでたら体壊しちまうよ』ってさ。オレはそれもそうだなと思って、『遼一、頼むからオレの体のこと考えて5つくらいに絞ってくんねえか?』って冗談半分で言ったんだ(笑)。それと、これは今だから言えることだけど、当時、京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)の監督を務めていたのが加茂(周)さんでね。オレもお世話になった義理があるから、『遼一、頼むから京都だけは1回行ってくれ。あとは任せるから』と言ったこともある(笑)」

 あるクラブからは、こんな提案もあった。

「当時J2だったクラブのスカウトが、『先生、こういうのはどうですか?』って聞くんだよ。『大学に進学する。でも、サッカー部には所属しないでウチでサッカーをやる』。この提案には正直、揺れた。ご両親は特にね。でも、遼一は偉かった。『やるならJ1です』と、はっきり言った。そう、アイツは半端じゃねえんだ。妥協はなかった」

■不安の中で育った日本代表選手
「アイツは特別」と語る前田についての記憶の鮮明さとエピソードの豊富さに、聞いているこちらが驚かされた。練習中の部員たちを目の前にしながら、林の隣で前田の話を聞くこと1時間半。ゴールライン50メートル、タッチライン55メートルしかない暁星高のグラウンドで、サッカー部員たちは今も昔も変わらない林のゲキを耳にしながらボールを追いかけている。林はグラウンド脇の特等席とグラウンド中央を何度も往復しながら、ゴール職人たる前田の原点を探る上で事欠かないエピソードをいくつも披露してくれた。

「遼一に限らず、コイツらは不安の中でサッカーをやっているんだ。大学に受かるか分からない、試合に勝てるか分からない、オレに使ってもらえるか分からない。そういう環境の中で、朝から晩まで、夏休み、冬休みもずっとね。だって、受験のライバルたちは、予備校に行って、涼しいところで勉強してるんだもん。ウチのヤツらには、おそらく言葉では言い表せないほどの不安があると思うよ。そういう中で育った日本代表選手は、やっぱりまれだよ。遼一はジュビロに行ってサッカー観も変わったと思うし、プロじゃ通用しないこともある。苦しいこともあったろうよ。でも、不思議とね、焦りは感じられなかった。オレ自身もそうだけど、確信していたよね。いつか必ずやるだろうって」

 前田は今年、30歳になる。日本代表というステータスをものさしとするなら、遅咲きと言えるだろう。とはいえ、職人として磨き上げてきた熟練の技が求められるのはこれから。ブラジルへと続くワールドカップ予選で、日の丸を背負ってその真価を発揮してほしい。
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by fujisportsclubjp | 2011-06-24 23:02
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